2008年7月11日

誰かとすれ違うこと

最近とても残念だと思う出来事がありました。
人は理解し合うための努力なしに絆を維持することはできません。
おそらくは互いに必要とする関係というのはウェットでもドライでも溢れるほどあって、成立を待っているものだと思うのです。
1対1とは限らず、バランスがそれを決めていきます。
あらゆるファクターを乗り越えて成立しても、一番伝えるべき事を伝えきれないためにそれは壊れて行くのです。

疑いがあるとき、拒絶が起こります。
揺るぎない信頼関係にあると思えるうちの鳥にすら、その葛藤があります。
鳥たちにはそういう苦悩を持たせたままにはして置けませんから、安心させるために何でもしてやります。
人間同士では、壁がそれを遮ります。
前提になるものは善意でなければならないのに、その場に合っているカードは別のもの。
正義だったり甘えだったり、厳しさだったり、必要とされるカードは刻一刻と変化します。
解っていながらすれ違って行くことは止められません。
止める行為が摩擦を生むと解っている場合には。

それは私自身に脅威や特別な変化をもたらす出来事ではありません。
しかし、将来に渡って持続できると思っていただけに、そして誰にも悪意がなかっただけに大変残念だったのです。
どんなにそう信じたところで、人は環境と共に変化して行くものだということはとっくに知ってはいるのだけど。

5 件のコメント:

  1. これって、時々感じる物ですわよね。
    価値観が合っている間は、仲良し。
    少しづつ人間が変わっていく間に、すれ違う。
    理解し合えない部分が発生してくる。

    あんなに仲良くして、何でも通じ合って
    いたのに。という悲しみと後悔と。
    とっくの昔から分かっていた事でも、悲しい。
    分かりすぎて、心が痛いですわ。
    私も何度も経験ありますもの。
    諦めるというと、嫌な言葉ですが。
    諦めも肝心やもしれませんね^^;

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  2. yuki☆さん

    そうですね。
    こういうことは何度体験しても心の痛みを伴いますね。
    とてもハードなことですが、かといってそれに慣れてしまいたくない。
    きっと誰でも同じようにすれ違っていくのでしょうが、一方の感受性が強すぎるとバランスを崩しやすいように思います。

    yuki☆さんもそんな痛みを何度も経験してらっしゃるんですね。
    そういう体験があってこそひとの痛みも知ることができるのでしょう。
    yuki☆さんのおっしゃる諦めとは多分、違いを認めることではないでしょうか。
    それはとても大事なことですね。
    本当に、受け止め方が全てなのだと思います。

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  3. お久しぶりです^^;

    子供の頃はゴメンね~で済んでたものが
    大人に成って知恵が回り始めると
    余計な情報やら感情やらが殺到して
    倒錯して自分でもどうしょうもなくなること
    ありますよね~(>_<)

    大人になることの弊害でもあるかもですが
    だからこそ大人は子供よりも偉いんだぞと

    思って頑張りましょう( ̄^ ̄;)

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  4. ありゃ?匿名になっちゃいやしたすいませんm(__)m

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  5. ぼーいちさん

    子供の頃納得できなかった事って、実はいつまでも覚えてたりするんですよね。
    経験値が増える分賢くなれないとしたら、そういう意味では子供よりエラいと言えないような気がします。
    でも大人だからこそ、あらゆる状況で判断を要求され、プレッシャーを受けるんですしね。
    頑張るしかないッスよね。

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